これは昨日出かけた調布飛行場に残る遺物で、昭和16年に飛行場が完成したときの入り口の門柱です。それにしてもなぜ「東京」でなく「東東」になっているのでしょうか?
終戦後に進駐した米軍のイタズラという説があるそうですが、飛行場が完成した当時の東京は「東京府東京市」でしたからその略称ではないでしょうか?ちなみに門柱の近くに説明板があるのですが、そこまでは来歴はありません。完成時の写真が残っていない限り推測の域を出ませんが。ついでに書くと、調布は未だ調布町でした。
もう一つ「東」で思い当たるのは帝都の防衛に当たっていた「東部軍」です。東部軍は日本陸軍の軍管区の一つで、調布に配属された飛燕の戦闘隊をも所管します。名目上は民間と合同の飛行場とは言え、実質は陸軍の基地だったのです。誰か思い入れのあった軍の司令官が「東東と刻め」と部下に命令したかも知れないですね。
ちなみに、東京上空でB29と格闘した飛燕はその後鹿児島県の知覧に移動して特攻作戦に従事したという悲しい歴史があります。知覧も同じ陸軍の基地でしたから。いつか知覧の特攻平和会館を訪ねてみたいです。

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