先日、実家の母親に秋田の桜皮細工の箸を貰って来ました。
だいぶ前に両親が秋田の角館へ旅行した際に買い求めたものだそうです。美しいサクラの皮が張られていて日用としては惜しくて使えなかったとのことでした。
桜皮細工は江戸時代以来の伝統があり、この箸の木は白南天だそうです。使いなさいと貰ったものの、父親の形見でもあるこの箸をおろして使ってしまっていいのか、ちょっと考えています。
司馬遼太郎氏の「菊一文字」に、沖田総司がぞっこん惚れ込んだ借り物の名刀を惜しむくだりがあります。ふと、それを思い出しました。沖田の父親は奥州白河脱藩だったようです。江戸時代の庶民は、桜皮細工の日用品などはたして使ったのでしょうか。

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