地元の鑓水にその昔賑わった大塚山道了堂があります。明治の頃、横浜港から輸出する生糸の取り引きで栄華を極めた鑓水商人たちが東京浅草から建物を移してお堂を立て、参拝客相手のお店も出来て栄えました。古地図でみると、富士山、浅間山は言うに及ばず、江ノ島から大島三原山まで見えたそうです。
現在でも冬の晴天にはマンションの高層階であれば伊豆大島まで見えますが、地上からはとても見えませんね、それだけ明治の初期は見通しが良かったのでしょうか。
地元の永泉寺の別院となった道了堂は昭和期に入って2件の物騒な事件が続き、すっかり荒れ果ててしまいました。現在は「絹の道」として整備されています。ちなみに昔は「浜街道」と呼ばれていました。
最近は件の物騒な事件のせいで幽霊が出たりする心霊スポットとしてすっかり有名になってしまい、とても残念です。

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